晃の中国史専門ブログ     チャイニーズ・ヒストリー

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スピード出世がよいとは限らない

昨今は正社員という形態にこだわらずに、契約社員派遣社員・アルバイトで生計を立てるフリーランサーが増えてきました。

 

 私が大学の頃は会社説明会で「入社したら出世しましょう!」と学生に説明する社員が多かった。今では信じられない光景です。

 

 今回は北宋(960年~1127年)の宰相である寇準(こうじゅん)の逸話を紹介します。

 

1.寇準とは?

 

 寇準は北宋第3代皇帝真宗に仕えた宰相です。中国の官吏登用試験である「科挙」に20歳という異例の若さで合格していました。

 

 科挙は合格が難しく、何度も落ちて合格するのが当たり前。30~40代で合格するのが平均です。20代で合格していたら天才でした。

 

 寇準はそれを成し遂げた天才だったのです。寇準はその後、とんとん拍子に出世していき宰相・・・・・・総理大臣にまでなりました。

 

 44歳という異例の若さでした。

 

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2.友達から危険視される

 

 ある日のこと、四川の長官である張詠(ちょうえい)は寇準が宰相になったことを聞きました。

 

 張詠は寇準の友達でした。才能はあったのですが、誰にでもズケズケとものを言う性格だったので、出世コースから外れていました。

 

 寇準の出世を聞いた張詠は「寇準は才能にあふれているのだが、民を幸せにすることは出来ない」と呟きます。

 

「それはどういう意味ですか?」と、近くにいた張詠の弟子が理由を尋ねました。

 

「若すぎるからだよ」と寇準は言いました。

 

 張詠によると寇準は昔から凡人が努力して成し遂げることを、少ししゃべる程度で片付ける癖があったようでした。要領が良すぎたのです。

 

 仕事は苦労しながら年月をかけて、色々なことを習得していくもの。しかし寇準はその苦労も勉強するヒマも無く、才能だけで生きていることを張詠は危険視したのです。

 

 寇準はその後、北宋契丹と間で結ばれた「澶淵の盟」を成功させたことで皇帝からの信頼が一層厚くなりましたが、最後は自分が腹心として頼みにしていた丁謂により失脚させられました。

 

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やはり才能だけで生きていたので人物を見抜く力を養うことは出来なかったのでしょう・・・・・・

 

 会社に勤めている若い読者の皆様も、スピード出世は少し考えなおしておきましょうか。